【セミナー #06】株式会社ファインドスター 代表取締役会長 内藤真一郎氏の創業ストーリー

2022

千葉大学ベンチャービジネスマネジメントの講座(VBM)では、著名な経営者・起業家・ビジネスパーソンに登壇いただき、起業やキャリア戦略等についてお話いただいています。

2022年11月16日(#7)は、「次世代ダイレクトマーケティング支援企業」を目指してD2C/サブスクリプション業界に特化した事業を展開し、グループとしては「起業家・ベンチャーの成長のためのプラットフォームを創る」をミッションとして掲げ、17社のグループ会社からなる、株式会社ファインドスターの代表取締役会長 内藤真一郎氏をスピーカーに迎え、セミナーを開催しました。今回は、内藤氏の創業のストーリーについてお話しいただきました。

当日のセミナーの様子をお届けします。

「落ちこぼれ」だった学生時代

今でこそ株式会社ファインドスターの代表取締役会長を務める内藤氏ですが、学生時代はいわゆる、「落ちこぼれ」だったそうです。

“僕は高校時代、典型的な落ちこぼれだったんですよね。高校がそこそこ進学校だったんです。1学年700人で、50人クラスが14クラスだったんですね。頭の良い順でクラスがわかれるというありがちな進学校でした。頭がいいと赤バッチで、僕みたいに普通だと青バッチみたいに、バッチの色見ると頭の良さがわかっちゃうという…(笑)。本当に恥ずかしい話、もう本当に勉強が大嫌いで、私立文系コースで300人ぐらいいた中で一番びりだったんです。ほんとに恥ずかしいですが全く勉強ができませんでした。

 そんな中、内藤氏は危機感を抱き、リクルートで働くことを決意しますが、そこでも壁が立ちはだかります。

“高校の頃全然勉強ができなかった。これじゃまずいということで、大学入ってちょっと就職活動苦戦するなと思ったんで、今のリクルートにバイトで入社したんです。そしたら全く売り上げが上がらなくてですね。4ヶ月売り上げがゼロと。本当に今でも思い出すんですが、上司に呼び出されて、「内藤お前給料いくらもらってんだ」と。当時25万くらいもらってまして、「じゃあ損失いくらだ」って聞かれたから「100万円くらいですかね」なんて言ったら「ふざけんな!」ってものすごく怒られまして。当時丸の内の一等地で働いてましたんで、ここの家賃いくらするのか知ってんのか!みたいなことで。“

 当時内藤氏は、高校でも落ちこぼれ、リクルートでのバイトもうまくいかず、悲惨な人生だとかなり落ち込まれたそうです。その時色々な本を読んでいるうちに、あることに気が付かれたそうです。

“いろいろな本を読んでいたときに、「偉人ほど物事がうまくいかない」という言葉を見つけたんです。そこでなるほど、自分がうまくいかないのは将来偉人になるからじゃないかという驚くほど勘違いをしてですね。後天的ポジティブシンキングと呼んでます(笑)。成功哲学の本を僕たくさん読んでたんですけども、結局行っていることは一つで、「ポジティブに物事考えれば人生良くなるよ」ってことなんですよね。これに僕は大学生の頃に気がつきました。”

リクルートに就職

ポジティブシンキングが大事だということに気づいた内藤氏は、その後リクルートに入社されました。リクルート時代には大きく二つの自分なりの仕事観を持たれたそうです。

“僕はそのまま新卒でリクルートキャリアという、リクナビやっている会社に入りました。そこで3年ほど働いていたのですが、自分なりに工夫していたことがあってですね、一つはモノマネと言いますか、リクルートのトップセールスの人たちがどうしてトップになれたのかっていうのを自分なりに分析をしてひたすら真似をしていました。”

このモノマネは、今の経営者としての働き方にも活かされているそうです。

“僕はよく上場企業の分析をしているんですが、今伸びている会社、利益が上がっている会社のIRを読み込んで行って、成功している要因を自分なりに言語化して自分の経営に活かしています。”

リクルートは内藤氏の入社後、95年にダイエーに買収されるなど、苦しい時代が続いていました。

“当時とても大変で、リクルートキャリアも赤字になってしまって社員がどんどん辞めていくんですね。そのとき僕らが現場でこういうことが起きているから、経営改革をこういうふうに進めましょうといったように色々とトップに提案するんですが、バブルが弾けた直後だったので、なかなか昔の成功体験に引っ張られて、なかなか方針を転換してくれなかったんですよね。そこで僕は現場を知っていることがトップには大事だなってことに気が付きまして。ビジネスというのはやはりどこにチャンスやヒントがあるって、間違いなく現場、お客さんとの接点なんですよね。自分が新卒で入ったリクルートがどんどん潰れかかるのを見て、やはり商売の原点というのは、お客さんのところだなという。”

そして、内藤氏はこのようにも語っていました。

“これは僕の一番の一貫したテーマなんですが、基本的に僕はマーケットさえ選べばビジネスは成功するという考えを持っているんですよね。僕がリクルートキャリアに新卒で入ったのは、当時90年代というと転職というのは悪だという時代だったんです。僕はリクルートでバイトをしていて、そんなことしてるのは日本だけだって知ってましたので、自分なりに絶対に人材の大流動化時代が来るというのは確信していました。実際にこのような大流動化時代になりましたんで、やはり時代の大きなトレンドを掴むというのが大事なことだなというのをリクルートキャリアに入って思いました。”

ベンチャーに転職 トップ営業マンからお荷物社員に

リクルートキャリアでトップ営業になった内藤氏は、リストラなどの煽りを受けて出世が難しいことを知ると、退社し、ベンチャー企業に入社されました。

“友人が作ったベンチャー企業だったのですが、この会社、結果的に潰れちゃうんですよね。何やっていた会社かというと、いわゆる今でいうリフォームですね、お店をきれいに作るとか古い家を新しくするとか。この会社はいわゆる下請け企業みたいなものだったので、別に営業は必要なく、仕事はいろんな会社が振って来るわけなんです。つまり全く貢献ができないわけですね。リクルートでトップ営業やってたのに、途端に何も貢献できない社員になってしまった。なので、やはりビジネスをするときには自分の得意なことをビジネスにしないと成功率下がるなというのはこの転職で気がつきました。”

株式会社ファインドスター創業へ

リフォーム会社が倒産したのち、得られた学びを活かして内藤氏は、ホームページ制作の事業で起業されました。

“当時はですね、1996,1997年とまさにインターネットの黎明期でして。まだパソコンが会社にあっても一台みたいな時代でした。そんな中、なぜ僕はホームページ制作を選んだかと言いますと、いわゆるゴールドラッシュで一番儲けたのはスコップとジーンズを売った会社だったっていう有名な話がありますよね。なのでインターネット時代もホームページがマストになるだろうと思っていたので、この制作会社であればある程度ビジネスとして成功するだろうなと。”

 内藤氏の予想はその通りになり、ブルーオーシャンで最初は順調だったそうですが、あるとき大きな失敗に遭遇されます。

“最初はブルーオーシャンでライバルもいない状況だったんですが、2001年にITバブルがきまして。そうするともう一瞬でホームページ制作会社だらけになってしまったんですよね。どんなビジネスでも「儲かるよ」ってなったらいろんな会社が入ってきますから。そしてホームページ制作というのはある程度簡単にできてしまうもので、参入障壁もそんなに高くなかったんです。簡単にできるビジネスというのは、やっぱり儲からないんですよね。”

 内藤氏は、あるとき名古屋でとある建設会社を営む社長に商売の秘訣を教えてもらったところ、こう教わったそうです。

“その社長さんに、商売とは需給だって言われたんです。これどういうことかというと、ほとんどの人は商売は需要だけで見るんですね。ここマーケットあるからここでビジネスやろう。と。その方は最初秋田県からビジネスを始めたんですが、なんで秋田に出したかというと、秋田県って人口は少ないけど、ほとんどライバルがいなかったらしいんですよ。供給がなかったんですね。なので、やはりビジネスというのはみんなマーケットの方の需要だけ見ると痛い目を見て、むしろ同じく供給サイドも見て、ここがアンバランスなところをどう見つけるかというのはビジネスとして大事なんですよね。”

 次に、内藤氏は自身の経験から、マーケティングが大事だということを教えてくださいました。

“その当時は私が飲み会などに行って仕事をとってくるという、いわゆる人脈を使った営業をずっとやっていました。これはもちろん誰にでもできる営業方法ではないので、会社の売上も2億円あたりをずーっとうろうろしていたんです。つまり、ビジネスには売れる仕組みが必要なんだということですよね。いいものさえ作れば売れるということではなくて、売れる仕組みと製品がセットなんです。また、競合との差別化要因として、「品質」はだめなんですよね。買う側としては、どんなに品質が良くても正直そんなにわからないんですよ。日本の家電メーカーが品質を売りにしてますけど、海外製品に苦戦しているのもまさにそれですよね。”

今ファインドスター社で行っている広告事業は、これらの失敗を踏まえて経営されているそうです。

起業で成功する人の3つの共通点

最後に、起業で成功する人の共通点を三つ挙げていただきました。

“一つ目は、「人がついてくる」ということです。やはり会社は一人でやるものじゃないですから、仲間探しが大切です。また、先輩起業家や知り合いからのアドバイスを受け入れる「素直さ」これが二つ目。そして、最後に「商売センス」ですね。今エンジニアがトップの会社が増えてきてますけど、やはり稼ぐ力が必要なんですよね。ビルゲイツなんかも商売センスの塊みたいな人ですから。”

■登壇者プロフィール

株式会社ファインドスター
代表取締役会長 内藤真一郎氏

1967年、鹿児島県生まれ。6歳からは東京で育つ。1991年、日本大学農獣医学部(現生物資源学部)拓植学科卒業後、リクルート人材センター(現リクルートエージェント)入社。1年目に営業職として、MVPに選ばれる。約4年勤務後、友人が設立した建設関連のベンチャー企業に転職。産業廃棄物処理、カフェの内装など、未経験の分野の仕事に奮闘するが、入社2年目に倒産。1996年、インターネット接続アダプター「ラインチェンジャー」を開発し、アレスト(現ファインドスター)を創業。

■終わりに

今回は、株式会社ファインドスター 代表取締役会長 内藤真一郎氏に登壇頂いた際のセミナーの様子をお届けしました。

今後もアントレプレー教育の一環として、ベンチャービジネスマネジメントの講座(VBM)に登壇いただく予定です。著名な経営者・起業家・ビジネスパーソンから、起業やキャリア戦略等についてお話いただきます。